神との対話のニール氏地震について語る

Understanding Japan  Part III
日本を理解する-パートⅢ (3月19日付)

この対話について…

こんにちは。私は、ニール・ドナルド・ウォルシュです。私は、【対話活動】と名付けた、世界的なディスカッショングループの一環として、このスペースを使って書いています。このサイトにおいて、私達は今、世界に起きていることに定期的に注目し、それらの出来事を、現存の、大変【古い文化的ストーリー】の中で見ていきます。それから、それらの出来事を、まったく違ったところから考えていきます。すなわち、【新しい文化のストーリー】という、この「活動」の一環として人類のために書いていきます。世界中の人々からの反応を取り入れながら。今日探究するトピックは、以下です:

【古い文化のストーリー】 死は悲しいこと

私は、前回の「パートⅡ」で、この10日間の間に日本で命を落とした何千人もの人々について、かなり思い切ったことを申しました(訳者注:前回の記事参照)。 私はこう述べました。亡くなった方々は、「意識外のレベルにおいて、そうすることを自分で選んだのだ」、と。

このことは、何千年もの間、人類が、真実として信じ、生きてきた、そして今日でもほとんどの人が保持し続けている、【古い文化のストーリー】に照らし合わせると、信じ難いことであるのはわかっています。
私達の【古いストーリー】では、非常にまれな例を除いて、人間は死を選んだりしないどころか、その真逆で、常に生き残るための闘いを続け、時には、状況が圧倒的に不利であっても、どんなことがあっても生きようとするものです。

肉体的な生は、私達の【古いストーリー】によれば、最高の価値なので、当然のこととして、それに固執し続けます。そしてストーリーには、更に続きがあります。【古いストーリー】では、私達はそれに「固執し続けなければならない」とされています。【古いストーリー】では、人間は、可能な限りあらゆる力を使って全力で生き続けなければならない、何があろうとも、となっています。そうしないということは、「神の意志に反すること」だと、【古いストーリー】では宣言されています。それゆえに、人間は、自分の選択で死ぬことは「許されていない」のです。

この【古いストーリー】は、私達の社会システムに、あまりにも溶け込んでいるために、今や民事の法律の一部にすらなっています。思いやり深い医者や介護職の方や配偶者などが、誰かが自分で生命を終わらせるのを手伝った、として、投獄されているのです。その人がどれだけの痛みの中にいるのか、絶え間なく続く苦痛がどれだけのものか、などには関係なく。神は、「神がそう告げるまでは、死ぬことは許されない」と言っているわけです。

今まで私は何度も、愛する者達を連れていってほしいと、人々が真剣に神に祈る場面に遭遇してきました。ある妻は、夫が死を目前にしつつも、何日も、苦痛の中でもがき苦しみ続ける中で、こう言っていました。「どうか神様。お願いです。彼を解放してください。彼を連れて行って下さい。あなたの元に帰してあげて下さい。彼はあまりにも苦しみ続けています。親愛なる神様。」そして、彼女は泣いていました。

この【古いストーリー】は、私達の信念体系の一部になりきってしまったので、自殺をした人の残された家族に対して、保険会社は給付金を支払いません。少なくとも、それをとても早く行った場合は、です。もしも、「ゆっくりと」自殺をする場合は 例えば煙草を吸い続けて肺がんで死ぬとか---保険金は支払われるのです。でも、もしも、何年もかけてではなく、何分間かでの自殺の場合は、支払は拒否されます。だから、人が自分で死のうとしたかどうかが問題なのではなく、それを実行するのにどのくらいの時間をかけたか、が問題だということになります。早い自殺は、ダメ。ゆっくりの自殺なら受け入れられる。

「古いストーリー」は、また、私達は、亡くなった人の死を嘆き悲しむべきだとしています。私達がその人を亡くしたことについてだけでなく、彼らのために。なぜなら、彼らは、大きな価値のある何かを失ったから、と「古いストーリー」は言うのです。また、死の向こう側には、なんらかの苦悩が待っている、という考えがある・・・・・・だから、私達は、「安らかに眠って下さい」と、神に祈るのです。

私達は、死後何が起きるのか、はっきりとは知らないと言いますが、私達の「古い文化のストーリー」では、どんな人間だったか、どんな人生を生きたかによって、天国に行くか、さもなくば、まっすぐに地獄に行く、そのどちらかだ、と教えるのです。

つまり、「古いストーリー」では、人々は自分の意思に反して死ぬのです。そして、人々はそうしたくない、と思っている、でもそうしなくてはいけない、というものなのです。ですから、それは悲しむべき出来事ということになります。確かに、あの日本での地震と津波の後に亡くなったあまりにも多くの人々の死は、人類にとって大変に悲しむべき大惨事であり、それを軽んじたり、軽視しようとしているわけではありません。それでいて…私達の現実で、この出来事に関して他の見方があるのです。

【新しい文化のストーリー】 死は喜びあふれる経験である

「神との対話」における【新しい文化のストーリー】では、死は存在しない、と告げます。少なくとも、私達の定義するような死は。それは命の終わりではありません。なぜなら、命は、決して終わらないから、と【新しいストーリー】は言います。命は、永遠に、ずっとずっと、未来永劫続くものだと。ですから、【新しいストーリー】における、人が「死ぬ」日とは、その人の「存続の日」なのです。

更に、「新しいストーリー」では、人間が死と「呼ぶ」出来事は、「本当はこうなのだ」という大いなる目覚めと共に起きる、歓喜の体験だと言います。それは、私達が今まで出会った愛する人々すべて(今生も過去生も含めて)との喜ぶべき再会であり、神性との至福の融合なのです。

最終的に、「新しいストーリー」の告げることで、もっともカルチャーショックであろうことは、死とは、誰に対しても、決して、押し付けられるものでも、無理やり課されるものでもなく、それは、いつでも「選ばれる」ものであるということ。そしてもっと驚くことに、「死が最終地点ではない」、ということです。

「古いストーリー」では、「真の私達は何者なのか」に基づけば、すべて真実だと告げます。それは、すべての魂は、神性が個別化したものであるから、魂そのものには、何事も起き得ない、というより、すべての出来事は、魂を「通して」起きる、ということです。これには、死も含まれるのです。ですから、「魂そのもの」が、自身の選択でない方法や時期に死ぬということはありえないのです。神なるものには、神の意志に反して起きることなどありません。なぜなら、神は、あらゆる力としてあらゆる場所、あらゆるものの中に、常に存在しているので、その意思に反して何かが起きるということなど、そもそも不可能だからです。

死は、神聖な体験です。それは、真実と恩恵に溢れ、「本当のこと」を完全に知らされる体験であり、それは単なる想像ではありません。そして、すべての痛みや、肉体的、感情的などんな苦痛も溶け去っていき、恐れや不安や不幸は消えていきます。神という永遠の存在の柔らかくて優しい意識と、甘い無条件の愛が、私達の存在の本質に注入され、それがいつでも、今までもずっと、私達の本質そのものだったのだということが、明らかになるのです。

【ストーリーを調和させる】 なぜ人は死を選ぶのか

もしも、死についての「新しい文化のストーリー」が信じるべきことなのであれば、多くの問いに対して答えなくてはなりません。その中でも、「魂の意思」については、答えなくてはなりません。本当に、この肉体の生命を自身の自由意思によって選んでいるのかどうか、について、です。

前回申し上げたように、これまで、多くの人々が、悲しみの中で私に言いました。「「つまり、私の妻(夫、母親、父親、子供、etc.)は、私を置いて逝くことを選んだ、というのですか?何を言ってるんですか?私と一緒にいて幸せではなかったというんですか?」

注意しないと、私達は、「新しいストーリー」を、軽率にも実質的な怒りの機会へと変えてしまいます。実際、私達は皆、「古い文化のストーリー」の中にどっぷり浸かっている中で、愛するものの死を迎えることに怒る人々を知っていると思います。

私達は、この両方のストーリーを、完全に理解し受容することによって、二つを調和させることができます。:亡くなる人は、決して私達を置いて去っていくのではなく、いつでも、いつまでも、私達と一緒にいるのだということ。私達が、彼らのことを考えた途端、彼らの「本質」は、光の速さで私達のところに飛んできて、そして私達の周りを漂っているのです。そして、本当に、私達の身体に入ってきます。私達は実際、彼らが私達と一緒にいるのを、そして私達の内側にいるのを「感じる」ことができるのです。

それでも、多くの人が、彼らの温かい手を握りしめたり、身体を抱きしめたりした時のような心地良さとは程遠い、と言います。ですが、私達は、肉体とは違う、本質が溶け合う心地よさを味わうことができるのです。それは、私達自身の死の瞬間に、神と私達の間に起きるのと、まったく同じ心地よさなのです。肉体が触れ合うのと同じ驚嘆の念と喜びが、この融合の中での至福となり得るのです。というのも、魂同士が触れ合う時、身体も同じように歓喜を体験するからです。私は、このことを私自身の体験として知っています。神が私に触れた時に、そしてしばしば誰かのことを思う時にも。他にもこれを知っている人はたくさんいて、それを詩や歌で表現しています。

それでいて、もしも、愛する人々の魂が、私達と一緒にいて幸せだったのなら、いったいなぜ、去ってしまったのでしょう?それは、身を焦がすような、辛い問いです。答えは、魂は、私達を去ってはいない、ということです。そして私達と共に、新しい形で、一緒に居続けると選択したのだということです。新しい形とは、肉体を持っていた時に可能だった、あらゆるいのちの表現よりも多くの愛を示すことができ、私達とのより一層の一体感や幸福感を体験することができるものなのです。

魂が肉体を離れる時は、この人生でのいのちの表現の旅を完了した時です。魂は、今生で経験しに来たことを経験し終わり、地上の言葉でいえば、究極のご褒美、最高の賞品と言うべき、もっとも偉大な体験をする準備が整った、ということなのです。それは、愛する人を、これ以上ないほど完全に愛することができる機会であり、それは、愛する人のいのちの本質との永遠の結合によって、文字通り、私達に「なる」ということなのです。去って行った私達の愛する人達の魂は、私達と一つになったのです。身体と魂において。これ以上の天国はありません。

想像してみて下さい。最愛の人の身体に入っていくことができて、超微粒子レベルでその人と「一つ」になれるということを。魂同士も、天国で、そうしたい時にするように。あなたの愛する人が亡くなっても、そうできるのです。「天で行われるように、地でも行われる」のです。

このことについても、他の多くのことについても、まだまだお話することがたくさんあります。そのすべては、「新しい文化のストーリー」の一部です。そのすべては、驚くべき真実です。そして、そのすべては、人間という体験を、世界中の命の表現を、永久に変えてしまうことができるほどのパワーを持っています。

どうか、このサイトにまた来て下さい。他の人も誘って下さいね。皆で対話をしていきましょう。


Be love, my beloveds.
愛でいてください。私の愛する人達よ。

Neale.
ニール


(訳:早川映子 ニールのブログ原文はこちら:http://www.thealternativevoice.org/ 
転記・転載される場合は、この英文のブログのURLと一緒にお願いします)

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2016-06-25
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例えば神は居るか居ないかというような論争を展開するのではなく、
神が居るとしてどう役に立てるのか、神が居なかったとしてどう役に立てるのか
それが重要だと考えています。
かといって、役に立たない(ように見えるものを)排除するわけではなく、
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以下のキーワードを見ていて頂いて、だいたいの方向性を感じてもらえればと思います。

キーワード:
クリシュナムルティ、老子、荘子、ラマナ・マハルシ、禅、ヴィパッサナー、ACIM(奇跡のコース)、OSHO、グルジェフ
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